音楽と私

(長~くなりますので気軽にお付き合い下さいませ)
(推定読書時間:14分)

 沖縄本島から南におよそ400km、飛行機で1時間ほどの距離にある「唄の島」「芸術の島」として知られる石垣島。幼い頃はラジオから流れてくる沖縄民謡に耳を傾け、道を歩けば三線の音色や島唄が自然と耳に入ってくる、そんな環境で育ちました。


 自宅にはオルガンがあり、母が独学でやっと弾けるようになった曲を楽しそうに弾いていました。その姿を見て、私も鍵盤楽器に興味を持つようになり、4歳より音楽教室に通い始めました。

 グループレッスンの先生は美人で優しい先生、歌いながらエレクトーンもピアノも弾けて「なぜこんなに指が動くのだろう!?」と先生の顔と指をじーっと見ていた記憶があります。

小学校時代


 グループレッスンからピアノコースに移り、この頃ちょうど石垣島に移住してこられた音楽大学出身のピアノ専門の先生から、ピアノの基礎を教わることになりました。

 カトリックの小学校に通い、学校の敷地内にある教会で毎週讃美歌を歌っていました。音楽室にあったマリンバに興味を持ち、音楽の先生でもあったシスターからマリンバを教わり、数々のコンサートに参加しました。
 一方でバスケットボールやサッカーも大好きで、バスケットボールは毎年県大会に出場、サッカーはキャプテンを務め地区大会で優勝するなど、ピアノとはかけ離れた一面もありました。

 ある日、近所に住んでいた憧れのお姉さん家へ行くと、クラシックのCDが山のようにありました。そこで数々の作曲家の作品に出会いすっかり虜に…。夢中で何度も何度も聴きました。また、小学校の音楽室で見つけた一本のカセットテープには、ベートーベンのピアノソナタ「月光」が録音されてあり、曲の好きな部分を何度も巻き戻し、早送りしているうちについにカセットテープが壊れてしまいました。(小学校の先生、ごめんなさい汗)
 島では子ども向けのコンサートやピアノのコンサートが少なかったため、いつもCDばかり聴いて過ごしていました。また、時々一人で楽器店へ行き、母からもらったお小遣いで欲しい楽譜を購入、テキストの練習をそっちのけにして好きな曲ばかりを弾いていました。この頃から、クラシック音楽が好きな私は、将来ピアノに携わる仕事に就きたいと想うようになりました。

小学校の音楽会にて

中学~高校時代

 中学校では吹奏楽部に所属し、サックス、オーボエ、トランペットと、顧問の先生の指導のもとで様々な楽器に挑戦しました。年に一度の吹奏楽コンクールや定期演奏会の他に、部員たちと共に飛行機をチャーターし、台湾の学生たちとの交流を目的とした音楽イベントにも参加しました。石垣島から台湾までの距離は約120km。沖縄本島よりも近い台湾との間には、時差が一時間あることに驚きでした。

駆け出しの頃の石垣第二中学校吹奏楽部マーチングバンド。

今では全国大会で活躍するバンドへと成長しています。


 音楽大学を目指していた私は高校入学後、沖縄県の音楽コンテストに挑戦し、ここで初めてピアノのコンクールを知ることに!同年代のハイレベルの演奏に驚きと、今まで自分は何をしていたのかと大ショックを受けました。
 ピアノが上手くなりたい一心で、音楽教室の先生から紹介された音楽大学の先生のもとへレッスンに通いました。一人で飛行機に乗り、関東にある音楽大学のオープンキャンパスで先生のレッスンを受講したり、沖縄本島での先生のレッスンにも通いました。先生がご厚意で石垣島まで足を運んで下さったこともあり、島にいながら大学の先生のレッスンを受けることができました。
 大学受験を控えたある日、レッスン室にあった全国の音楽大学に関する一冊の分厚い資料に目が留まり、先生からその資料をお借りしました。そこで見た大学にかかる費用に愕然とし…。両親に金銭的な負担をかけるのは申し訳なく、受験をためらっていました。それでも将来は音楽関係の仕事に就きたかったため、ピアノ調律の専門学校を視野に資料を集めていました。しかしそんな私を見て、当時すでに社会人だった兄が「自分の人生、後悔のないように」と背中を押してくれ、諦めかけていた音大受験を決意。無事に合格し、兄が入学金を支援してくれました。勉強できる環境を作っていつも応援してくれた家族、音楽教室の先生には感謝しかありません。

 
 思えば音楽教室の先生は私の「第二の母親」のような存在でした。小学生の頃は怖いイメージでしかなかった先生も、高校生になった頃には何でも話せるような関係になっていました。大学に入ってからも実家へ帰省した際は真っ先に先生宅にお邪魔して、一緒に食事をしながら近況を報告していました。出会って30年以上経った今も先生ご夫妻とお付き合いが続いています。
 指導者になった今、私はピアノの技術だけではなく、生徒さんの心に寄り添いながら信頼関係を大切にし、生徒さん達にとって安心して相談できる存在でありたいと思っています。

大学~卒業後


 ピアノに没頭した大学生時代。奨学金制度を知り、勉学に励んだ結果、念願の奨学生の資格を得ることができました。また、学内演奏会等に出演する機会を頂き、ピアノを本格的に習い始めたのが遅かった私が、一番成長できた時期でもありました。


 卒業の年、さらにピアノを学びたい気持ちがあったためピアノの先生に相談をすると、先生から「イタリアに信頼できる先生がいるから一度レッスンを受けてみては」と勧められ、ちょうどタイミング良くイタリア人の先生が来日され、レッスンを受講できることになりました。力が入り過ぎて表現が伝わらない私の演奏が先生のレッスンでみるみるうちに変わり、レッスンが終わった頃には無駄な力がとれ、楽に自由に弾けるようになり…。言葉がけで演奏が変わることを実感し、先生の下で勉強したい気持ちが高まり、思い切って留学を決意しました。渡伊するためには留学費用と色々な手続きが必要だったため、大学卒業後は音楽関係や飲食店などでアルバイトをしながら、ピアノとイタリア語のレッスンに通い、留学へ向けて準備を進めていきました。

(大学卒業後、新人演奏会にて)

この時期、大学講師と音楽プロデューサー、そしてセミナー講師でもあった中野雄先生に大変お世話になりました。先生は私の状況をお知りになると、ご自身が主催される多くのセミナーにアシスタントとして無料で受講させて下さったり、日本のみならず世界の第一線で活躍されるゲストの音楽家の方々と時折共演させていただいたり(あの頃は怖いもの知らずでした…)、セミナー後のランチ会ではゲストのお話を直接聞ける機会をよく設けて下さいました。また、数々のコンサートの譜めくりや、ホールに二日間籠ってのCD制作にも、先生のご厚意で参加させていただくことができました。午前と午後でのホールやピアノの響きの違いや、ピアニストの方々の熱量を間近で感じることができ、すべてが新鮮で明るい希望を抱かせてくれ、大変貴重な音楽経験を積ませていただきました。
そして大学卒業から一年半後イタリアへ…

イタリア留学


 イタリアの現地で実技試験を受け、国立ペルージャ音楽院に無事に合格し、安心したのも束の間、イタリアの地に来てまず思ったことは日本と比べてとても不便なことでした。荷物がちゃんと届く保証はない (汗)、再配達を依頼してもすぐには届かない…郵便物が紛失したり、途中で破損したりするケースも。郵便事情だけでもネタは尽きません (笑)。
また、お店や施設では長蛇の列ができているにもかかわらず、店員は13時になると「昼休憩だから」と閉められることも。客は文句を言いながらも一旦その場から解散 (泣)。

イタリアの中心部にある 中世の街 ペルージャ。駅から約3キロの距離、海抜約450メートルに位置する街の中心地は、丘の上にあるため美しい景色が楽しめます。

 
 日本人ははっきりと言葉にしなくても表情や様子で何となく気持ちが伝わりますが、外国では通用しません。曖昧な返事だとYESかNOを求められ、自分の思っていることをはっきり言わなければ伝わらないことを強く感じました。
 一方で、「ここは石垣島!?」と錯覚に陥るくらい、のどかでゆったりとした時間の感覚が似ている一面も。友人達とのディナーは遅れてくるのが当たり前!?集合、解散時間がアバウトな私的な集まりでは、時間はあまり気にしないおおらかな気質(沖縄でもあるある話)笑。ところが、練習や室内楽などの合わせとなると時間厳守。この辺は使い分けているんだなぁと感じることもありました。

ペルージャ旧市街中心部。外でランチをする姿も。文化の一部として、イタリアでは昼食時に少量のワインを飲むことがあります。


酔うほど飲むことは少なく、節度を持って楽しむ人が多いです。

 
 
 イタリアでは電車やバスの遅延はよくある話で、コンサートの開始時間もしばしば遅れることも。
 初めてのリサイタルでは開始時間が1時間近く遅れ、終えたのが夜の10時頃でした…。
(コンサートの開始時間も日本より遅いです)。
また、イタリア人がよく使う「Andrà tutto bene!」
(アンドラ トゥット ベーネ)(全てなんとかうまくいくよ!)全く根拠がなくてもこの言葉。日常のちょっとしたことでも動揺しなくなりました。

旧市街地中心部にある11月4日広場 (Piazza IV Novembre)
で見られる サン・ロレンツォ大聖堂と噴水。
ペルージャ音楽院もこの近くにあります。

 
 
 ある日、同じ音楽院に通う友人から突然、「指揮者のためのマスタークラスが明日から二日間あるけれど、専属のピアニストが手を骨折したので代役で務めてほしい」と依頼を受け、首を縦に振る間もなく、「大丈夫!Andrà tutto beneだから!」と言われ渡されたスコアは音符でほぼ真っ黒…しかも交響曲が10曲近くもあり…(オーケストラのスコアを二台ピアノに編曲しているのですから当然なのですが)。
 しかし、引き受けた以上は任務を果たすべく!とにもかくにも時間との闘いでした。一睡もせずに譜読みをし、翌日を迎え、休憩時間も練習。マスタークラス初日を終えた後直ぐに帰宅し練習、二日間ほぼ寝ずに伴奏ピアニストを務めました。その後、二日間ほど寝込みました (笑)。とは言え、これもまた貴重な経験となりました。
 指揮者が求めている音色や音楽がタクト一つで、まるで魔法にかかったかのように自然と引き寄せられ、もう一台のピアニストと呼吸を合わせ一体となって音楽が出来上がる感動は忘れられません。また限られた時間の中での譜読みも大変勉強になりました。
 突然の出来事にも臨機応変で、その場の解決能力に優れる陽気なイタリア人。「アンドラ トゥット ベーネ」は沖縄人がよく使う「なんくるないさ~」(なんとかなる)とまさに一緒!?Andrà tutto bene…Nankurunaisa…。
(なんくるないさの本来の意味は、「挫けずに正しい道を歩むべく努力すればいつか良い日が来る」という意味です。)

リサイタルにて

 
 音楽院では私以外のほとんどがイタリア人の学生でした。初めは言葉の壁がありましたが、幸いにもピアノの先生や門下生がとても親切で、いつも一緒に行動して助けてくれました。脱力の仕方、長いフレーズの作り方、呼吸の意識、一音一音の大切さ、自分の演奏を客観視することなど、様々な演奏技術や表現を先生から学びました。先生の出す音、技を盗むようにとことん真似をしてきた日々、全てが知識と経験を豊かにしてくれました。
 音楽について、納得のいくまでどこまでも議論し
(もはや議論好き!?)あわやグループ崩壊か!と思いきや、議論を終えると何事もなかったかのようなふるまいで、コミュニケーションを大切にする勉強熱心なイタリア人。そんなピアノ仲間との日常会話から学ぶ音楽用語は、その言葉の持つ微妙なニュアンスを理解するのに役立ちました。
(音楽用語は主にイタリア語で表せることが多いです。)
 また、オーストリア、ハンガリー、スイス、スペインなどヨーロッパの作曲家の足跡を辿りながら文化的、歴史的背景にも触れられることができたこと、四年半のイタリア生活の中で二度お金を拾い、二度スリにあったこと、 (もう、盗られる方が悪いです。はい。) 良い思い出も、苦い思い出も、私にとってかけがえのない財産となりました。

オーストリア ウィーンのモーツァルト像と

留学後~現在

 音楽院の先生の転勤に伴い、私も三年間学んだペルージャ音楽院から、イタリア中北部の小さな街にあるチェゼーナ音楽院へ転校しました。そこでの一年半、勉強の傍ら音楽院の生徒たちの伴奏を務めました。
 卒業が近づく頃、同じ門下生である日本人の友人が、愛知県にある彼女の実家のピアノ教室を紹介してくれました。そして音楽院を共に卒業した後、私は日本に帰国し、そのピアノ教室で彼女と共にピアノ講師として勤務することになりました。彼女との出会いが、私の指導者としての第一歩を導いてくれたのです。


 教室では経験豊富なスタッフの先生方と、何百人もの生徒さんがピアノやリトミックレッスンを楽しみ、コンクールに挑戦される生徒さんもたくさん見えました。まさに新しい世界へ飛び込んだ気分でした。生徒さんへのピアノ、リトミック指導や声かけを二年かけて先輩スタッフから学びました。一日の終わりにレッスンを振り返り、スタッフ達と情報を毎回共有することで指導にも少しずつ自信を持てるようになりました。
 また、この音楽教室でリトミックに出会ったことは大きな衝撃でした。こんな学びがあったのか!と。生徒さん達に指導していると、私自身も楽しくて心がワクワクするのです。指導がきちんと出来るよう勉強するため、音楽学校のリトミック養成コースにも通いました。
 リトミックのレッスンは一回わずか40分ですが、指導案を立て、レッスンの練習をし、練習の成果を先輩に見てもらいアドバイスを受け…レッスンを提供できるまでにかなりの時間がかかりましたが、指導をしながら学べる環境は本当に有り難く、現在の私のピアノ講師としての自信に繋がりました。

リトミックプラスティックアニメ(音楽の視覚化)発表会

 
 結婚後もしばらく音楽教室で勤務を続けていましたが、これまでに培ってきた知識や経験を活かし、これから出会う一人ひとりの生徒さんを入会から卒業まで見守りたい気持ちが強くなり、思い切って自分の教室を立ち上げました。何かをやってみたいと思った時、気が付くといつも周りの方々の応援があり、支えと励ましが私をここまで導いてくれました。特段の才能もない私が、夢に向かってここまでこられたのは本当に周りの方々のおかげです。お金では買えない、この貴重な財産に心から感謝する毎日です。
 今では二児の母親となり、子育てに奮闘しながらも大好きな生徒さんに囲まれてとても幸せです。これまでに受けた応援を、これからは私が生徒さんに還元していきたいと思います。そのためにも学びはこれからも続きます。音楽は人生を豊かにしてくれます。

 つい長々と書いてしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。(長くなりすぎました~!)